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【連載】君の一歩は未来に向けて(13)

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トレーニングをする反町選手
トレーニングをする反町選手

『2008年の北京から、ロンドン、リオ・パラリンピックまで3大会挑戦して、いったんは引退したんですが、実は、現役に復帰したんです。2020年の東京パラリンピックに挑戦しようと思っています』

 

石井の現役復帰は、初耳だった。

パラリンピックに3大会出場し、競技には満足して引退したのだと思っていたが、未練があったのだろうか。

2020年には東京でパラリンピックが開催される。人生のうち、自国でパラリンピックが開催されるチャンスは1度、多くても2度だ。出場できる可能性があるなら、挑戦したい気持ちが沸いてもおかしくはない。

「石井さんが、現役復帰しようと思われたのは、なぜですか?」

『実は、家庭環境に変化がありました。今年の春に離婚が成立したんです』

 

こういう時、何と言葉をかけてよいのか。頭の中が一瞬、真っ白になった。

離婚に関する詳細について、興味本位で尋ねるのは失礼だろう。家庭環境の変化が競技に復帰する理由に関係しているというが、あまり積極的に聞きだす内容ではない気がする。私が言葉を返すことができずにいると、家族について話を始めたのは石井だった。

 

『息子が3人いて、いろいろ大変なんですが、ようやく家事にも慣れてきたところなんです。子どもたちは、お母さんがいない寂しさは必ずあると思うんです。でも、いつか分かってくれる時がくると思っています。

これまでは妻が毎朝、朝刊を持ってきてくれて、年月日を確認できたんですけど、それはできなくなりました。最近は、小学6年生の三男が、「おとうは、忘れっぽいから」と言って、朝刊を持ってきて月日を教えてくれたりします。

高校生の長男は今夏、1人で米国にホームステイに行きました。飛行機の乗り換えもありましたし、一人で海外に行かせるのはどうかと心配したんですけど、飛行機の乗り換えは間違えずにできて、ホストファミリーのお宅で結構ちゃんとやっているみたいです。中学生の次男は、反抗期なのか、家ではほとんど口を聞いてくれないんですけど。門限の夜10時までには、きちんと家に帰ってきています。そういう子どもたちの姿を見ていると、「たくましくなったな」と感じます。だからこそ、自分も2020年の東京パラリンピックまで、できる限りのことをやろうと。自分ができることは自転車競技ですから、出場できる・できないに関わらず、東京パラリンピックまで自転車競技をやっていこうと思っています』

 

高次脳機能障害とつきあいながら日常生活を送ることの大変さは、私の想像を超えている。3人の息子を育てるシングルファーザーの大変さも、独身で自分の好きなように生活している私には味わったことのないものだ。

しかし、石井が話してくれた「大変さ」には、重苦しい雰囲気を感じない。決して楽なわけではないだろうが、日常生活や子育てに関する大変さがあっても、それをどこかへ跳ねのけてしまうような明るさ、前向きな姿勢を石井は備えているように見えた。

北京大会から、ロンドン、リオとパラリンピックに出場し、一度は引退した石井が、再び、自転車競技に復帰した。パラリンピックに出られるかどうかは別として、競技に挑戦するという。現在の石井は、パラリンピックでの金メダル獲得を目指して走っていた頃とは異なる、新たなビジョンを描いているのかもしれない。

 

「私は、今、高次脳機能障害のある陸上選手を取材しているんです」

 時計の針が正午に近づいていた。インタビューを始めて、すでに2時間近く過ぎていた。私は石井に、反町公紀のことを伝えた。受傷して高次脳機能障害を持つことになった時、石井はすでに競輪選手として活躍していた。公紀が交通事故に遭ったのは、中学1年生の時だ。石井は、視覚や記憶に障害があるが、会話は問題なくできる。公紀は言いたいことを表わす言葉が出てこない失語があり、他人とのやりとりは筆談が必要だ。高次脳機能障害という障害の呼び名は同じだが、石井と公紀とを比べると、さまざまな違いがある。しかし、それらの違いを超えて、公紀に関わるうえで参考になる何かを、石井が教えてくれそうな気がした。

 「石井さんから、アスリートとして、何か、アドバイスをしていただけることがありますか」

 

『その陸上選手は10代で交通事故にあって、高次脳機能障害になったということですけど、それまでの十数年の間に、「自分が、どう生きてきたか」というものがあると思うんです。自分が好きだったものとか、夢中になっていたもの、自分が信じてやってきたものがあるはずです。自分が信じることができるものを、何か一つ持っているといいと思います。

私には、自転車がありました。自転車があったから、パラリンピックに出ることができ、今があります。私は、藤沢市みらい創造財団の仕事でイベントに出演させていただいたり、広報誌に載せていただくことがありますが、その際に、お子さんを持つ保護者の方に伝えていることがあります。

「お子さんに、まず、いろいろな経験をさせてあげてください」「お子さんが、やりたいと言うものをやらせてあげてください」とお話するんです。

本人が「やる」と決めたものは、自己決定です。自分で決めたことは自分の責任ですから、途中で嫌なことにぶつかっても乗り越えていけると思います。

最初はこれというものがないなら、好きな人と一緒に何かをやることも良いと思います。自転車のイベントで、二人乗りのタンデムに一緒に乗ってもらうと、初対面の方同士でもすぐに仲良くなれるんですよ。好きなことを共有すると仲良くなれるんです。もし、彼が陸上をやりたいなら、保護者の方や友達も一緒に陸上をしてみたらいいんじゃないですか』

 

私は、公紀が走る姿を思い浮かべた。身体を動かすことが好きなのは間違いない。

休日に公紀を指導してくれる関口紘樹さんは、公紀と一緒に走っている。同じ距離を走ってタイムを計測して比べたりしている二人は、教える・教えられるという関係ではなく、一緒に頑張るチームメイト、仲間のような関係に見える。

「これをやりたい」と自分で決めて取り組んでいることに自分で責任を持ち、嫌なことにぶつかっても自分で乗り越えていける。石井は、その言葉どおりの人だ。競輪選手になるという幼い頃からの夢を実現し、パラリンピックでも金メダル獲得を果たした。そんな石井と同じように、強い思いで夢を追い、自分で決断し、それに責任を持てる人ばかりではないかもしれない。

私自身、パラリンピックの競技の取材を続けていく先に、何か大きなビジョンを描けているかと問われたら、明確な答えはない。自分がやりたいと思ったことをしているが、大きな壁にぶつかっても、乗り越えられるだけの覚悟があるのかどうか。自分がどれほどの自信を持っているのか分からない。

公紀は、どうだろうか。

「これをやる」と自分で決めたことに責任を持ち、嫌なことにぶつかってもそれを乗り越えていけるだろうか。

 

 インタビューの終わりに、私は、石井の顏写真の撮影を頼んだ。石井は、会議室の椅子に腰を掛け直し、姿勢を正して、「緊張してしまうんですよ」と言った。目尻に皺が入り、顏をくしゃっとして笑った。

公紀が笑う時は、どんな時だったか。

私は、自分の記憶を探りながら、石井にレンズを向けて、シャッターを切った。


(取材・執筆:河原レイカ、2017年10月)

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