【連載・第3回】パラリンピック初出場までに「16年」が必要だった理由
- paraspoofficial
- 4月24日
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自転車のトレーニングでは、自分が今どのくらいの力で漕いでいるかを測定できるパワーメーターという装置を使っている。例えば、普段の練習で200W(ワット)で走っていて、あるレース中に180Wで走っていることが分かれば、あと20Wの余力があるから後半のスピードを上げても大丈夫だと判断できる。逆に220Wで走っていたら、普段よりも出力が超過しているから、少しスピードを落とさないと後半で潰れてしまう。つまり、パワーメーターの測定値は、自分の今のパフォーマンスやペース配分を考える材料になる。
そして、パワーメーターを使うと、トレーニングの強度も分かる。出場予定のレースに照準をあわせて、客観的な指標をもとにした高強度のトレーニングを実施し、状態を仕上げていくことができる。
しかし、市販されている自転車用のパワーメーターを、車いす陸上のレーサーにそのまま取り付けることは難しい。
吉田は、平松氏が作成したパワーメーターをレーサーに装着して測定することになった。吉田は日々のトレーニングのデータを平松氏に提供、それを解析した結果をフィードバックしてもらった。
「それまでトレーニングの量はやってきていたんですが、強度が足りていなかったんです。パワーメーターを使う利点は、自分自身を追い込めるようになること。測定するとトレーニングの強度が分かるので、ごまかせなくなるんです。自分の感覚だけで追い込むのはなかなか難しいと思います」
平松氏には、練習のサポートも依頼した。自転車で前を走ってもらい、その後ろについて吉田が走る。レーサーを漕ぐ手を緩めれば、前を走る自転車に置いていかれてしまう。自転車に離されないようにするには、高速を維持した状態で走り続けなければならない。パワーメーターで測定したデータを把握している平松氏は、吉田の最高速度や持続力、トレーニングの強度が分かっている。吉田の肉体の限界ぎりぎりのラインを攻めるように前を走ってくれた。
「それと、平松さんからはトラックを走る練習をするように言われていたんです。でも、それまではトラック種目をやってなかったんです」
パラリンピックに出場する海外の有力選手の中には、マラソンとトラックの中長距離種目(800m、1500m、5000m)の両方に出場する選手が少なくない。トラックの中長距離で強い選手は、マラソンでも強い。スピードを上げ下げして他の選手に揺さぶりをかけたり、勝負どころでスピードを急上昇させて後続の選手を突き放したりする技術は、トラックとマラソン両種目で使うことができるものだ。
――なぜ以前は、トラック種目に出場していなかったのですか?
「ずっと、パラリンピックにはマラソンで出るんだから、トラック種目をやる意味はないって思っていたんです。マラソンはロードを走るし、練習もロードを走ったらいいんじゃないかと。でも、新型コロナウイルス感染症で国内も海外もマラソンのレースが軒並み中止になってしまって。その頃からトラックの練習をするようになったんです。ちょうど東京パラリンピックの前くらいから、関東の選手たちが集まってトラックで練習するようになっていました。自分よりも若い選手たちが一緒に走るようになって、自分もトラックをやろうと。タイミングというか、縁というか」
――トラック種目に対する考え方が、以前と変わったのですか?
「実際、トラックの練習をやってみたら面白くなってきたんです。トラックは路面抵抗が高いし、身体の負担が大きいので。僕は、自分を限界まで追い込みたいタイプで、キツイのが好きなんです。やっていくうちに、これはいいぞと思った。以前は必要ないって思っていたんですが、僕も年齢重ねて少し丸くなったのかもしれません」
トラック種目で力をつけたことはマラソンレースでの成績にもつながった。そして、ついにパリ・パラリンピック日本代表に選出された。
――トラック種目の練習で、どのようなところが強化できたのでしょうか?
「トラックの練習で、以前よりスプリント力がついたと思います。スプリント力というのは、レース中に力のある選手が集団の中で前に出ていった時に置いていかれずに付いていける力です。でも、世界記録保持者のマルセル・フグと僕を比べると全然ですね。マルセルは前へ出ていく時に、パン・パン・パンとスピードを急上昇できる。マルセルのスプリントのリズムが1!2!3!だとすると、僕の場合は1~、2~、3~という感じ。同じ速度まで上げるのに、時間が掛かってしまう。その間にマルセルに離されて、置いていかれているんです」
◆16年という月日の「タイパ」
アイスコーヒーのグラスをテーブルに置き、吉田は両手を膝の上に置いた。
「…長かったですよね」
吉田が静かに放った一言には、胸の中に貯めていた息が載っている。
「陸上を始めた頃からパラリンピックに出るつもりでいましたし、すぐに出られると思っていたんですよ。体力には自信があったし、消防士もやってたし、他のやつには負けねぇぞと。少し本気でやれば余裕で出れるでしょと。全然、そうではなかったんですけどね」
吉田は16年にわたってトレーニングを積み重ね、ようやくパラリンピック出場という目標を達成した。吉田自身、競技を始めた当初は、パラリンピック出場までにこれほどの時間が掛かるとは思っていなかった。想定していたよりも時間が掛かったのは事実だろう。
――パラリンピックに出場するために、これが必要だと思うものは何かありますか?
「パラリンピックに出ている選手と出てない選手は各段に違う。競技に対する覚悟というか、向き合い方というか。パラリンピックに出場する選手は、走り込みとか泥臭い練習を徹底してやっていると思います。最近、若い選手を見ていて思うのは、練習量が圧倒的に足りていないんじゃないかということ。短時間でさっと練習して終わってしまっていて、それが伸び悩みの原因になっているんじゃないかと思っています」
費やした時間に対する効果や成果、満足度などを指す「タイパ」(タイムパフォーマンス)という言葉がある。短い時間でより高い成果を得られたらタイパは高く(良く)、逆に時間を掛けたわりに得られた成果が少ない場合はタイパは低い(悪い)と捉えられる。
車いす陸上のような競技においても、パラリンピックのような世界最高峰の舞台に立つのは若いうちに実現することが望ましく、そのためによりタイパの良いトレーニングを探す傾向があるのかもしれない。
ただ、吉田の話を聞いて思うのは、競技力向上に時間が掛かったからこそ得られたものもあるのではないかということだ。
ひたすら持久力を追い求めていたこと。自転車競技のトレーニング方法を学び、強度の重要性に気付いたこと。必要ないと思っていたトラック種目の練習を、若手の選手たちと一緒にするようになったこと。
一つひとつの取り組みの積み重ね、思い通りのタイムが出せなかったり、レース中の駆け引きで失敗した経験も含めてすべてが、吉田の競技力向上の糧になったと考えたほうがしっくりくる。
16年という月日は、吉田がパラリンピック出場という目標を達成するために必要な時間だったと言えるのではないだろうか。
「僕は42歳でパラリンピック初出場ですから、若い選手たちは自分に必要なものに気が付けばまだ十分に間に合う。不十分だと感じたら、自分で練習の環境を変えることだってできるはず。自分に足りないことを認めて、素直に受け入れることも必要だと思うんです」
――パリ・パラリンピックのマラソンに出場して、どんなことを感じましたか?
「マラソンコースの最後の直線でこれまでのいろいろなことを思い出して、やっと終われると思いました。出し尽くした感じがありましたね。一つやりきった感じはあるけど、やりきってはいない。まだ、挑戦できることがあると思っています」
「人生100年時代なので、40代なんてまだまだかもしれない」
自分自身に聞かせるように、吉田は微笑みながらこう言った。
(取材・撮影:河原レイカ)
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