【連載・第1回】 パラリンピック初出場までに「16年」が必要だった理由 車いす陸上・吉田竜太
- paraspoofficial
- 4月19日
- 読了時間: 4分

「誰も、僕がパラリンピックに出られるなんて思ってなかったと思うんですよ」
2024年夏にフランスで開催されたパリ・パラリンピック。男子車いすマラソンに出場した吉田竜太(1981年9月28日生、SUS所属)は、地元・江東区の亀戸駅近くにあるカフェで、こう話した。
パリ・パラリンピックが閉幕して、およそ5カ月が経過した2025年2月初旬。私は、吉田にインタビューする時間をもらった。
吉田がバイクの事故で障害を負い、車いすに乗るようになったのは2005年。リハビリを経て陸上競技を始め、初めて出場したのは2008年の東京マラソン(10キロレース)だった。それから障害者スポーツの世界最高峰の舞台と位置づけられるパラリンピックの日本代表になるまで約16年。
パリ・パラリンピックに出場したのは42歳。43歳の誕生日まで、あと20日だった。
パラリンピックに「初出場」となる車いすマラソン選手の年齢層は20~30代がほとんどだ。もちろん出場選手の中には40代以上の選手もいるが、若い時から世界の舞台で戦っていて、パラリンピックには複数回出場しているというケースが多い。
私は20年近くパラスポーツを取材してきた。なかでも車いす陸上に注目してきたが、吉田のようにパラリンピック初出場が40代以上という選手はかなり珍しい。
競技用の車いす(レーサー)を漕ぐ技術、体力、持久力。選手の集団の中でどの位置を走るか(位置取り)や、マラソンでは高低差や道幅など屋外のコースの特徴を生かして他の選手を引き離す戦略など。
これらの技術や能力、経験値が、パラリンピックに出場するレベルに達するまでに、吉田には他の選手よりも時間が必要だったのか。それとも、すでに身に着けていた技術や能力が40代に入ったタイミングでうまくかみ合い、パラリンピックの出場基準を満たす好タイムにつながったのか。
どんな選手でも加齢に伴う肉体の衰えはあるだろう。体力や持久力の低下もあるかもしれない。そのなかで、吉田は40代でも世界の舞台に立てる可能性があることを示した。
吉田は、どのようにしてパラリンピック日本代表を掴んだのか。40代でのパラリンピック初出場について、吉田自身はどう捉えているのか。若手の選手たちにアドバイスできることは、何か。私は、これらについて吉田に詳しく聞いてみたかった。
JR総武線・亀戸駅前は、制服を着ている中高生や幼い子どもを連れた夫婦などで混雑していた。駅から徒歩15分ほどのところにある亀戸天神社は東京都内の3大合格祈願神社の一つとされており、受験シーズンに入った2月は賑わう時期らしい。
土曜日の昼下がり、晴天で気温も10度を超えて比較的暖かい。カフェのテーブルに置いたグラスは、側面に小さな水滴の汗をかいていた。
吉田が口にした「誰も、僕がパラリンピックに出られるとは思っていなかった」の「誰も」の中には、私も含まれているだろう。日本人の中では有力選手の一人と認識していたが、2021年開催の東京パラリンピックが終わった時点ではまだ、吉田が次のパリ・パラリンピック日本代表に選出されるとは思っていなかった。
改めて記録を遡って調べてみたが、2021年以前の吉田の成績に特に目立つものはなかった。
表:成績の推移(世界パラ陸上行儀連盟:WPAのランキングから抽出)
2016年 5000m―出場なし /マラソン1時間29分08(WPA17位)
2017年 5000m―出場なし /マラソン1時間23分18(WPA9位)
2018年 5000m 10分57秒10(WPA29位)/マラソン1時間24分07(WPA8位)
2019年 5000m 10分29秒32(WPA29位)/マラソン1時間24分02(WPA9位)
2020年 コロナウイルス感染症流行で主な大会が中止
2021年 5000m 10分27秒34(WPA18位)/マラソン1時間30分42(WPA16位)
2022年 5000m 10分18秒73(WPA10位)/マラソン1時間29分41(WPA8位)
2023年 5000m 9分48秒83(WPA13位)/マラソン1時間26分49(WPA6位)
日本人選手の中では実力はあるものの、世界の舞台で戦うにはもう少し、何かが足りない。20代の選手であれば、今後の「伸びしろ」を考えて期待を寄せるかもしれない。しかし、長年競技に取り組んできた40代の選手の「伸びしろ」を、私は想像することができなかった。
吉田はなぜ、40代に入ってから、世界の舞台で戦える水準まで記録を伸ばすことができたのか。
(つづく)
Comments